前向き乗車

〈京都からの鈍行帰京旅 その5・終  

 宿は樽見鉄道の終点、樽見駅近くのビジネス旅館を予約していた。大垣駅のJRのホームに下りると、その端っこに樽見鉄道の1両の車両が停まっていた。ちょうど帰宅ラッシュ。発車時間が近くなるにつれて、高校生が次々と乗り込んでいく。制服がいくつもあって、1校だけではないらしい。1両だけの樽見行きは、発車時刻にはパンパンになって、立っていた僕はその場を動くことができなくなった。

 その車内がなんだか不自然だった。立っている人がみな、列車の前、進行方向を向いて列を作っているのだ。みんな制服で、学校の朝礼みたい。僕が知っている通勤電車は、立っている人はみな窓の方を向いているのだけれど、なぜここでは進行方向を向いているのだろう。

 ワンマン列車で、確かに降り口は一番前のドアだから、みな降り口の方向を向いている、というのが最も考えやすい理由ではあった。しかし、全員が同じ駅で降りるわけではなく、前向き乗車の列の後ろの方にいた人が、先頭まで列のあいだを縫って降りていったりする。そもそも地方のワンマン列車では一番前のドアが降り口のことが多いが、ほかの路線で前向き乗車を見たことはない。ということで降り口が前であることは、前向き乗車の一因かもしれないけれど、それが全部とも思えない。

 車両の構造が前を向かせているのかな、とも思ったが、特段ほかの車両と変わったところはない様子。

 それか、よく駐車場でみる「前向き駐車をお願いします」みたいな貼り紙が車内に貼ってあったりでもするのだろうか。でもあれって、排気ガスを住宅に向かないようにするのが大きな目的じゃなかったか。だとしたら樽見鉄道の乗客には屁コキが多いことになってしまう。仮にそうだとしても(いや、絶対にそんなことはないだろうけど)、前向きに列を成していたらふつうに後ろの人が放屁攻撃をくらうことになってしまう。

 そんなよくわからない想像をしているうちに、停まる駅ごとに列から抜けて降りていったり、空いた席についたりして、前向き乗車の列は自然消滅した。

 今回乗った列車がたまたま前向き乗車をしていただけの可能性もある。できれば別の日のラッシュ時間に乗って、同じ現象が起きるか確かめたかったが、今回は叶わなかった。

 前向き乗車の列がなくなった頃、陽が沈んで、車窓には最後のほのかなオレンジ色の空が映っていた。列車は山間に入ってしばらく走り、終点の樽見に着いた。ちょうど中秋の名月の夜だった。愛想のいい旅館の女将さんが望遠鏡を貸してくれた。ごはんを食べて、散歩して、だらだらして、散歩して、風呂に入って、一日が終わった。

 翌日は根尾谷断層を見学して、鈍行で東京に帰った。沼津から経由した御殿場線はラッシュで混んでいたけれど、みんな窓のほうを向いて乗っていた。

(了)

大垣駅にて、乗り込む高校生

樽見の旅館の近くより、中秋の名月


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