養老鉄道の新聞輸送と運転士
〈京都からの鈍行帰京旅 その4〉
桑名駅の養老鉄道ホームに停まっていた、前身である近鉄時代からの車両に乗り込む。車内のドアの横に、袋に入った新聞が置かれているのが目にとまった。見ると今日の中日新聞の夕刊。新聞の束の上には駅名が記されている。駅毎に新聞を置く位置が決まっているようで、先頭車両の一番前の左右2つのドアのそれぞれ右端と左端に、新聞が分けて配置されていた。
桑名を出る。すこしだけ近鉄とJRに挟まれて走ってから、近鉄の線路の下をくぐって分岐した。すべての駅ではないものの数駅おきにホームで新聞配達員と思われる人が待っていて、自分の駅の名前が書かれた新聞を取っていく。取りに来ている配達員は、おじさんのところもあればおばさんのところもあった。ドアが開いて客の乗降を待ってから、よいしょ、と新聞を持ち上げてゆっくり歩き去る。電車の運転士に声をかけることもなく、なかなか見ることのない光景に接して注目する我ら旅人の目線も一切気にすることなく、淡々と、普通のことを普通にやっているだけ、といった仕事姿。それがなんだか格好よく思えた。
駒野駅では他の駅と違って2人の配達員がいて、1人は農家が使う一輪の手押し車を持ってホームで待っていた。若い方の人が新聞の束を持ち上げて手押し車に乗せて、それを押して新聞を運んでいく。手押し車って新聞も運べるんだな。
田んぼ一面が黄金色に輝く車窓を見ているうちに、養老駅に着いた。反対列車との行き違いで数分停車。ホームの屋根からひょうたんがぶら下がっているのが気になって、車両から下りた。養老伝説にまつわるというそのひょうたんを見てからカメラを持ってホームをうろうろしていると、僕から鉄道愛好者の気が出てしまっていたのだろう、乗っていた電車の運転士が声を掛けてくれた。
「どちらからお越しですか」
「東京からです」
「それはそれは遠いところから、ありがとうございます」
そう言って僕に向かって丁寧にお辞儀をした。そして、まだ出発しないので、どうぞゆっくり撮影してください、と写真を撮りたそうにしていたであろう僕を気遣った。それどころか、「ホームのあの辺りから反対列車と車両が並ぶ瞬間を綺麗に撮れますよ」と行き違いの撮影を薦めてくれた。そんなに優しくされたら、鉄道マニアはイチコロである。教えてもらった通りに撮影して、ドアの前で待ってくれていた紳士の運転士に「ありがとうございました」と告げて、再び電車に乗り込んだ。
すっかり養老鉄道が好きになってしまった僕と妻を乗せて、電車は大垣を目指す。僕らが車窓を見ていることに気づいたであろう運転士は、次の駅で停まったときに窓の前に置いていたカバンをさっと床に移した。どこまでも客思いの運転士。車窓が一段と見えやすくなった。
この紳士の運転士は、たしか多度駅から交替で乗務していたはずだから、きっと終点の大垣まで運転するだろう。だから、大垣駅で下りたらお礼を言おう。そう思っていたのだが、終点の1つ手前の西大垣駅で再び乗務員が交替となり、運転士は電車を下りていった。電車が出発するとき、車内からホーム上の運転士に会釈をして挨拶すると、向こうも気がついて、帽子を取って深々と挨拶を返してくれる。その姿に再び心打たれてしまった。僕も帽子をとって挨拶したらよかったな、と思った。と同時に、無言のコミュニケーションでも感謝が伝わった気がして、嬉しかった。
「養老鉄道、よかったね」
そう何度もつぶやきながら、日が傾きはじめた大垣駅の周辺を歩いて夕食を調達した。
(つづく)
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| 行き違い、養老駅にて |
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