六月の午後、酒田にて

 なぜ山形に行くことになったかは覚えていない。たしか、友人と別の土地への旅を計画していたのだけれど、宿がとれないとかでそこへ行けなくなって、でも予定はあけてあるからどこかに行こうという話をして、それでなぜか選ばれたのが山形だった。自ら山形を推した記憶はないから、たぶん提案してもらったのだろう。そんなことで、友人と2人で山形は酒田へ行くことになったのは6月初旬のこと。僕自身はじめての山形県であった。

 新潟駅から観光列車「海里」に乗って、午後になってから酒田着。駅前の図書館が入った施設で自転車を借りて、鳥海山の見える橋を渡って、友人父おすすめというワンタンメン屋で二度目のランチ。列車のなかで食べたおにぎりだけでは足りなかった。

 「山形ラーメン」が有名だということはなんとなく知っていた。だから、酒田に着いてすぐにラーメン屋に向かったのも、その土地の名物を味わうという意味で自然な流れのような気がしていた。だけど、お店に入ってからちょっと疑問が湧いてきた。いまから食べようとしているワンタンメンは、果たして山形ラーメンと呼んでいいものなのだろうか。もしかしてワンタンメンでは、山形ラーメンとは言えないのではないか。

 “山形ラーメン”で検索すると「山形県を発祥とするご当地ラーメンの総称」と書いてある。酒田ラーメンとは書いてあったから、それなら山形ラーメンってことでいいのか。だけど下のほうにこう続いている。

「醤油ベースのスープに中華麺が入ったラーメンは『中華そば』と呼ばれることが多い。そういった醤油ベースのスープのラーメンこそが『山形ラーメン』であるとする人もいる。」

 あー、こだわり強めの人でてきた。なんかワンタン入ってたらだめなような気もしてきたな。そもそも、食べるものが山形ラーメンじゃなきゃだめってことでもないのだけれど。

 味は、おいしかった。そんなにラーメン解像度が高くないので詳しいことは言えないのだけれど、上品でありながらちょっと家庭的な味がした。醤油ベースではなかったので、僕は、解釈次第では山形ラーメンを食べて、また解釈次第では山形ラーメンを食べなかった。

 さて。ラーメンについてだらだらと書いてしまったが、酒田でいちばん見たかったのは即身仏だった。即身仏。ミイラ。大昔の人の身体が腐敗せずに残っているというわけだ。僕の父親がなぜかミイラが好きなのだが、小さい頃はなんでそんな怖いものが好きなのかよくわからなかったし、興味もなかった。だけど、すこしは年を重ねて自分で旅をするようになって、旅先にミイラがいると言われたら、ちょっと見てみたい気がしていたのだ。酒田市では唯一、即身仏を安置するのが海向寺。お腹を満たしてから、文字通り満を持して寺に向かった。

 酒田市街地の西の端、ちょっと小高くなった日和山の一角に海向寺はある。市街地を抜けて坂を登りはじめると、その坂のてっぺんのあたりに森が見えてきた。寺か、と思ったその森は神社で、寺は森の手前の道を少しだけ横に登ったところにあった。 

 境内はひっそりとしていて、誰もいない。僕は即身仏を見るために酒田に来たと言っても過言ではなかったので、まわりにも同じような人がいるだろうと思って、多少なりとも賑わっている想像をしていた。だが、どうやらそうではないらしい。とりあえず本堂にお参りをして、その横にある即身仏拝観受付のインターフォンを押す。しばらく無音。ちょっとして、本堂のほうから足音が聞こえてきた。インターフォンから「拝観ですか?」と女性の声がして、その女性に拝観料を払って、僕たちだけのためにお堂の扉が開いた。拝観料さえ払えば誰でも入れるお堂だが、なんだか特別に入れてもらっているような気分になった。

 二体の即身仏が奉られている厨子の扉は開いていなかった。案内されて、厨子に向かって並べられている椅子に腰掛けると、先程のおそらく寺務員の女性によって開帳のための儀式がはじまる。なんだか急に別世界にきたような気分。ちょっと緊張してきた。同時に、まだ即身仏の姿を見ていないにもかかわらず、ここに来るために酒田までやってきたのは正解だったな、という気がしてきた。

 厨子の扉が順に開いて、ついに即身仏と対面する。

 ────人間だ

 いま感動するべき場面だな、みたいなやつではない、不意の感動は久しぶりだった。静かだった。静かに、心が動いていた。

 黒く光る身体。いま自分は江戸時代の人の身体を見ているのだな、と思おうとはするのだが、なんだかそんな気がしない。うまく想像できないだけなのかもしれないけれど、今もこういうおじさんいるよな、という妙な親しみがある。即身仏は身近な人間だった。

 儀式を終えて、女性が即身仏について説明をしてくれる。熟練の語りで、これがまた好い。よどみなく淡々としていて、物語を聞いているよう。特に、実際に即身仏になるまでの過程は印象的だった。即身仏になると決めたら、木の実などを少しだけ口にして命を繋ぐ木食修行をする。それを限界まで続けたのち、地下にある棺に生きたまま入る。断食して、鈴を鳴らしながら読経を続けるのだそうだ。その鈴の音が止まったことが、地上の人々に死を知らせる。音が止まってから3年3ヶ月後に掘り起こし、いま、僕はその身体と対面しているというのだ。

 女性は説明を終えると、それではゆっくりとご対面ください、と言って去っていった。海向寺初代住職の忠海上人、1755年入寂。同九世住職の圓明海上人、1822年入寂。200年以上前の人間。時を超えて人々を救うために、自ら命を絶った二人。友人と、対面する即身仏を何度か入れ替えては、黙ってその顔をみつめた。願い事をおかけください、ということだったので、平穏無事を祈る。健康に、平和な暮らしがつづきますように。そして、この旅が安全でありますように。

 寺を出てからも余韻が残っていた。すぐに自転車で移動する気にはならなくて、となりの神社の森の中をゆっくりと歩いた。ほかの観光客とすれ違うようになって、ようやく余韻が抜けてきたころ、急にトイレに行きたかったことを思いだした。僕たちはワンタンメンを食べていたころの自分に戻って、再び街に向かって自転車を走らせた。

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養老鉄道の新聞輸送と運転士